活動ブログ

ゆきろぐ vol.3~アートマネージャー雑記

 

こんにちは

広報部長ヨコミゾです

昨日の朝から熱が39度。。

ここのところ休みが無いなー

忙しいなー

と思っていた矢先にこの始末。

なんか予感のようなものってありますよね。

とりあえず僕の場合は

手足が冷えたり

鼻がグズグズしてきたら危険サイン。

今朝は7度まで熱が下がってきたのでl

ベッドの横になりながらこの記事を書いています。

 


 

人類がまだ

原始人のような生活をしていたころ。

食べ物を入れる土器に

模様を描いてみた。

 

土器の機能として

なんら必要のない模様。

だが人類がこれを発明したところに

ぼくは「文化」の始まりを感じるのだ。

 

文化がなくても

食べ物に困ることもなければ

人が死んでしまうこともない。

でも、だからといって

生きていく上で文化をないがしろにすることは間違いだ。

 

人類が自然発生的に

土器に紋様を入れたり

言葉の音節がメロディを創り出したり

女性が宝飾品で自らを飾り立てるようになったことには

大きな意味がある。

 

人類は言葉を生み出し

互いに協力関係を持つ「社会」を作り出した。

文化は、社会そのものであり

美を追求するそのマインドは

我々人類以外の生物には

存在し得ない事柄なのだ。

 

もう一つ。

文化とは表現することだ。

 

やがて人類は土器に描いた紋様に

個々にオリジナリティを求め始めた。

あるものは他に無い斬新さを求め

あるものは見ただけで心の休まる普遍性を求め

あるものは己が力を誇示する豪華さを求める。

自己表現のツールとして古くから支持されているのは

実は言葉ではなく文化なのだ。

 

「悲しい」という言葉を

短三和音に置き換えてみれば

人間の耳は、悲しみを感じることができる。

それは、言葉以上に

悲しみを表現することができる。

「悲しい」という言葉には

悲しい、という作用しか無い。

だがそこに音楽という「文化」のフィルターが加わることで

表現の可能性は無限に広がっていくのだ。

 

ぼくがみんことアーティストたちに日々伝えること。

それは、モーツァルトは特別じゃない

ブラームスはスペシャルじゃないってこと。

モーツァルトもブラームスも

おんなじ人間として

人類の文化の歴史の中で

脈々と生きてきた系譜の中の

その一端なのだ。

だから僕らはそれをありがたがって

「観測者」になる必要なんてない。

 

アイネクライネナハトムジークの

溌剌とした、弾けるような開放感も

ハンガリー舞曲第五番の

暴発寸前のパワーも

人間の心の中から自然と湧き出てきた

純粋な感情表現なのだ。

その感情は

現代に生きる僕らにも間違いなく存在している。

 

「芸術はバクハツだ」

岡本太郎は言った。

言葉だけで全ての想いを伝えることができるなら

芸術なんていらない。

でも、言葉は時としてとても非力。

だから芸術が必要なんだ。

 


 

ということで今回は

独自の芸術論を展開してみましたが

体がしんどくなってきてんで

ここで終わります。笑

 

続きは、また気が向いた時のゆきろぐで。

明日からまたみんことのコンサート。

なんとか今日熱が下がることを祈って、、、

(文/ヨコミゾヒロユキ)