ドレミ♪の向こうはイロハ…オ・レ!

ピアノ

こんにちは! アートマネージャーの横溝です。
突然ですが… 「ド・ミ・ソ♪」の和音を聴いてみなさんはどんな気持ちになりますか?
ちなみにこのドミソは、#や♭の付かないナチュラルなもの(ピアノの白い鍵盤)だと考えてください。

この和音、専門的には『長三和音』と言いますが、その辺の話はややこしくなるのでいつか時間がある時にしましょう。

なぜ突然こんな質問をするかと言うと、今日はこのドミソの和音でクラシック音楽の普遍性について考えてみたいからです。
作曲家並みの専門知識があるかよほどのひねくれ者でない限り、このドミソ♪を聴いて前向きな印象(例えば、楽しい、とか嬉しい、など)を抱くはずです。 もちろん音楽=芸術の話ですので、『楽しいけど少し悲しいね』とか『楽しい時を思い出し感傷的だなぁ』なんてグレーゾーンも考えられるんですが、今回は少し理屈ばった音楽学的に見た見地です。

このドミソ♪の和音は潜在的に前向きな、ポジティブなパワーを持ってるのです。

人間は長い歴史の中でどの周波数と周波数の音を組み合わせてどんな響きの効果があるかを研究してきました。 つまり、理屈で言うとある一定の部分まではそれぞれの和音が人間に与えるイメージは決まっています。

かつてバッハもモーツァルトもベートーベンもこの和音がもつ作用を利用して、「この感情を表現するにはこの和音だな」「ここで悲みを感じて欲しいからこの和音がイイね」といった具合に、まるでキャンバスという名の楽曲に和音の絵を塗っていくかのような手法で音楽を創作していました。 つまり、クラシック音楽で使われている和音=ハーモニーは人間工学的考えに基づいて使われていると言っても過言ではないのです。これがいつの時代の人々にも感動と安らぎを与え続けることのできる”普遍性”の一翼を担っているのではないでしょうか。

また、これとは矛盾するかもしれませんが、音楽を自由に感じて楽しめる要素もクラシック音楽にとって重要なポイントです。 オペラや一部の標題音楽(『動物の謝肉祭』のようにタイトルやストーリーが存在する音楽)を除けば、ソナタやら組曲やら、交響曲やら形式的なタイトルばかりが目立ってしまうクラシック音楽ですが、標題が無いからこそ聴き手がストーリーや情景をイメージしたり感情移入することができるのではないでしょうか。

ベートーベンの交響曲も「○○サンバ」って名前だったら良かったのに…なんて言わないでネ。 オ・レ!

人間の持つ「波長と想像力」。
これを刺激し楽しませてくれるのがクラシック音楽なんですね。
そう、いつの時代もクラシック音楽は人間の一番近くに寄り添って存在するのです。

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